【日曜に書く】論説委員・川瀬弘至 自衛隊ヘイトを乗り越えて
成人の日(1月11日)の2日後、産経新聞の那覇支局に、陸上自衛隊那覇駐屯地の広報担当者から電話があった。
「15日に隊員の成人式を行います。取材に来ませんか」
その日は、玉城デニー知事の定例会見がある。丁重にお断りすると、別の幹部から再び電話が鳴った。
「何とか来られませんか。感動すると思いますよ」
もう一度天秤(てんびん)にかける。今度は自衛隊に傾いた。
◆隊員は門前払い
そして15日。取材に行って正解だった。感動したのだ。那覇市長をはじめ地元自治体の首長が、初めて祝賀メッセージを寄せたからである。
それがなぜ「感動」なのかは、沖縄の自衛隊の、苦難の歴史を知れば分かろう。
およそ50年前、昭和47年の本土復帰とともに那覇に駐屯した自衛隊は、革新勢力から激しいバッシングを受けた。
自治体の労組などが駐屯地前でデモを繰り返し、「人殺し部隊は本土に帰れ」「軍靴で沖縄を汚すな」と罵声を浴びせるなんて序の口だ。自衛隊員の住民登録を拒否する、電報を受け付けない、体育大会への選手参加を認めない-等々、基本的人権すら踏みにじられた。
隊員だけでなく家族も差別され、子供が学校の入学式や始業式に参加できなかったケースもある。
中でも問題となったのが、隊員の成人式への出席阻止だ。那覇市は昭和50年、「会場が混乱する恐れがある」として自衛隊に出席辞退を要請。52年には当時の革新系市長が「自衛隊は招かれざる客」と発言し、正式に出席を拒否した。
那覇市は54年、人権侵害との批判を受けて方針を改め、隊員に招待状を送るようになる。しかし今度は自治労、市職労、革マル派などが過激な妨害活動を繰り返した。
会場入り口に労組員らが陣取り、女性はそのまま通すが、男性はチェックし、隊員と分かれば罵声を浴びせて追い返すというやり方だ。
当時の新聞報道によれば、労組員らに囲まれた隊員が「一生に一度のことだ。一人の人間として参加したい」と訴えても、門前払いされた。