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脳・神経疾患の研究に挑むリコー 「アンメット」領域の薬剤や治療法の開発に貢献

リコーのバイオ3Dプリンター
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 いまだ有効な治療方法が確立されていない疾病に対する医薬品や医療への強い要望のことを「アンメット・メディカル・ニーズ」と言う。特に、脳・中枢神経疾患など「アンメット」領域に相当する疾患には生命に危険を及ぼすものも多く、その薬剤や治療法の開発に向けて、世界中で研究が進められている。高齢化社会が進んでいる日本では、認知症をはじめとする脳・中枢神経疾患への対応は喫緊の課題で、メディカルイメージングやiPS細胞を用いたバイオメディカル技術など最先端のテクノロジーが果たす役割は大きい。

高齢化進展、疾患の増加が社会問題に

 がんや認知症などの重篤な疾患のほか、不眠症や偏頭痛など、すぐに生命に危険を及ぼすものではないが、生活の質を向上させるために患者から有効な治療法を求められているものなど、「アンメット」領域の疾患は多種多様だ。2014年の国内基盤技術調査報告書(ヒューマンサイエンス振興財団)によると、「アンメット」領域の疾患には、脳梗塞やアルツハイマー病など脳・精神関連や中枢神経関連の疾病が目立つ。

治療満足度と薬剤貢献度
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 こうした疾患の増加は、日本社会が直面している高齢化の進展と無縁ではない。アルツハイマー病やパーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)といった神経変性疾患の増加は、深刻な社会問題となっている。また、子供から大人にかけての幅広い年齢層での原発性脳腫瘍については、生体を傷つける必要がある侵襲性の高い外科手術に頼ることが多く、放射線療法に代わる有効な化学治療薬も見当たらない。これらは医療分野の社会課題のほんの一例に過ぎない。

社会課題である「長寿健康社会の実現」に貢献したい」

リコーヘルスケア事業本部バイオメディカル研究室長兼創薬事業室長の細谷俊彦氏
リコーヘルスケア事業本部バイオメディカル研究室長兼創薬事業室長の細谷俊彦氏
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 リコーは高齢化社会への対応が求められるヘルスケア分野を、社会課題の解決に取り組む分野の一つとして位置付け、事業参入に乗り出している。メディカルイメージングやバイオメディカルを重点領域として、疾病を予防し、早期に発見し、迅速に治療することに役立つ新しい価値の創造を目指している。

 「脊髄、脳、神経疾患の診断や早期発見、治療に貢献し、高齢化社会が進むなかで、長寿健康社会の実現に貢献することがヘルスケア(HC)事業のビジョンだ」。リコーHC事業本部バイオメディカル事業センター創薬事業室・バイオメディカル研究室の細谷俊彦室長はこう話す。細谷室長は理化学研究所で脳・神経疾患の研究に取り組んだ後、リコーに転じ、ヘルスケア事業が掲げるビジョンの実現へ尽力している。

 HC事業は、複雑な構造を持つ脳や中枢神経疾患に焦点を当て、リコーの神経活動を可視化するメディカルイメージング技術を活用した「診断」やiPS細胞などを用いたバイオメディカル事業による「創薬」、再生医療を目指した研究開発に取り組み、数千万人以上とされる患者の救済に向けた取り組みを加速している。

てんかん患者の手術部位を正確に決定する

 ヘルスケア事業の柱のひとつであるメディカルイメージング事業では、14年度から東京医科歯科大学、金沢工業大学と共同で脊磁計の研究開発に取り組むほか、16年4月には横河電機から脳磁計事業を譲り受けし、脳・中枢神経や末梢神経の活動を可視化する装置を展開している。

 脳磁計は、形状を計測するMRIなどと違い、人の生体活動により発生した、地磁気の約10億分の1ほどの超微弱な磁気を計測する。てんかんの特定や、脳腫瘍などの臨床試験で活用され、発達障害や認知症の早期診断に関する研究開発も進められている。脳磁計とMRIの併用により、異常源を正確に特定することが可能で、てんかん焦点の特定や、てんかんや脳腫瘍患者さまの手術前の脳機能検査で活用されるとともに、発達障害や認知症の早期診断に関する研究開発も進められている。

脳磁計の概要
脳磁計の概要
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 17年12月には脳磁計測システム「RICOH MEG」を米国市場に向けて販売を開始。翌18年7月には国内市場向けにも販売をスタートした。社会医療法人・北斗(北海道帯広市)とリコーの共同研究プロジェクトとして、脳機能ビッグデータと解析支援ツールを無償公開するなど脳機能ドッグへの取り組みを加速させている。金沢大学とは小児用脳磁計を活用した発達障害の早期診断のための共同研究に取り組んでいる。

脳磁計測システム「RICOH MEG」
脳磁計測システム「RICOH MEG」
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 一方、脊髄及び末梢神経の神経活動を可視化するためにリコーが共同研究先とともに開発しているのが「脊磁計」だ。

 これまで脊髄の神経障害の診察には、MRIなど生体の形状を画像化する装置を用いてきたが、形状を見るだけでは神経活動の伝搬に障害があるか判断するのは困難だった。神経活動の伝搬を測定するために、針を刺して神経電流を直接測定するなど、身体への負担が大きい手法を用いる場合があったが、脊磁計は人体への負担を少なく神経活動の伝搬を測定することができる装置だ。今後はアンメット領域での活用が期待されているという。

脊磁計の概要
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脊磁計を使うことで神経活動を形状ではなく機能で評価することが可能
脊磁計を使うことで神経活動を形状ではなく機能で評価することが可能
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iPS細胞技術を持つ米社に出資

 HC事業のもうひとつの柱であるバイオメディカル事業は、リコーのバイオプリンティング技術とリコーが資本出資したElixirgen Scientific社(米国メリーランド州ボルチモア)が持つiPS細胞技術を融合し、創薬・診断薬事業への取り組んでいる。

 バイオプリンティングのコア技術は、シンプルな構造で細胞を生きたまま吐出することができるインクジェットを搭載したバイオ3Dプリンターだ。HC事業本部バイオメディカル事業センター創薬事業室神経モデル開発グループの柳沼秀和グループリーダーは「細胞が沈殿しないように溶液を攪拌(かくはん)しながら吐出する独自のインクジェット技術が特徴で、生きた細胞の数や位置を精密制御することで、より生体に近いヒト組織作製の実現につながる」と話す。

バイオ3Dプリンターを説明する柳沼秀和グループリーダー
バイオ3Dプリンターを説明する柳沼秀和グループリーダー
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リコーでは、細胞を生きたまま吐出可能な独自のインクジェットヘッドを開発
リコーでは、細胞を生きたまま吐出可能な独自のインクジェットヘッドを開発
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 また、3次元での細胞積層により、生体内での構造の再現を可能にする技術も持つ。HC事業本部バイオメディカル事業センター創薬事業室神経モデル開発グループの佐藤尚樹氏は「ヒト細胞とハイドロゲルを組み合わせることで、3次元積層が可能になり、さまざまな形状を作製することができる」と話す。

実験に取り組む佐藤尚樹氏
実験に取り組む佐藤尚樹氏
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バイオ3Dプリンターで作成した3次元細胞積層
バイオ3Dプリンターで作成した3次元細胞積層
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 さらに、Elixirgen Scientific社の強みである転写因子由来のカクテルをヒトiPS細胞にふりかける簡便なプロセスで、iPS細胞の高速分化を実現。これを活用すれば、約1週間という短い時間でiPS細胞を安定的に所望の細胞に分化させることができる。

創薬プロセスのイノベーションをリード

 リコーのバイオメディカル事業が目指すのは、これらの技術を活用し、創薬(新薬開発)のプロセスにイノベーションを起こすことだ。現状の創薬プロセスは、「基礎研究」「スクリーニング」「前臨床」のステップで、限られた細胞株を使って多数の化合物から候補薬を選別し、ラットを使って検証。「臨床」から「製品化」へ進む段階で、多数の人に対して候補薬をテストし、ごく限られた数の製品化を達成する。

 リコーが目指す創薬プロセスのイノベーションの筋書きはこうだ。「前臨床」までのステップで、Elixirgen Scientific社の技術を使い、iPS細胞株から高速に細胞を分化。リコーのバイオプリンティング技術によって細胞を精密に配置し、多人数のiPS細胞株をチップに集約することで、ゲノム(遺伝子情報)ごとに層別化された複数の候補薬を選別することができる。「臨床」以降の段階においては、ゲノムごとに層別化された人に対して候補薬をテストする。これによって複数の製品化を達成することが可能になる。

リコーが目指す創薬(新薬開発)のプロセス
リコーが目指す創薬(新薬開発)のプロセス
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 創薬事業の第1フェーズは「創薬プロセス」の開発だが、第2フェーズとしては、バイオ3Dプリンターを活用した「細胞プレート・チップ事業」に取り組む。候補薬に対する遺伝的多様性の影響をまとめて評価するチップを実現し、層別薬の開発に道を開く。続く第3フェーズでは、創薬支援事業を想定しており、独自の組織モデルに対応したアッセイ(生物材料を用いた生物学的分析・評価)を開発する。細谷室長は「理論的には、一人ひとりの特性に合わせた薬の開発など次世代の個別化医療も可能になる」と自信をにじませる。

創薬事業のステップ
創薬事業のステップ
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遺伝子検査の「ものさし」となる標準を提供

 バイオメディカル事業ではさらに、遺伝子検査装置の校正、検査の精度管理に利用する「DNA標準プレート」を国立研究開発法人の農業・食品産業技術研究機構と日本製粉グループのファスマックと共同開発を進めている。

 遺伝子検査が正しく行われているか、また、装置や試薬に問題無いかを高精度で確認するためには、DNA分子が数分子レベルで規定された標準、いわゆる「ものさし」に相当するものが必要になる。リコーは共同研究を通じて、DNA分子数が決まった数入っている容器、(DNA標準プレート)を製造する技術を開発した。DNA分子数が個数単位で厳密に規定されているため、遺伝子検査装置、試薬、遺伝子検査手法の精度管理をより厳密に行うことが可能となり、遺伝子検査をより確実なものにすることができるという。これは遺伝子組換え食品や感染症の見逃しを防ぐことに繋がると期待されている。

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 医薬業界では、特定の医薬品の有効性や安全性を一層高めるために、その使用対象患者に該当するかどうかなどをあらかじめ検査する目的で使用されるコンパニオン診断薬の開発が進められている。リコーでは、「DNA標準プレート」が脳神経疾患の層別薬の効果判定に使用する診断薬への利用も視野に入れている。

 脳神経疾患をターゲットにした創薬事業の展開は、脳神経系疾患に対する薬効、神経毒性を評価するための神経組織チップの開発を目指している。具体的には、正常な人や疾患を持つ患者などのiPS細胞から神経細胞を分化させ、神経機能評価用電極チップを使って神経発火を電気生理的に測定することにより、けいれんなどの神経毒性やてんかんなどの薬効を評価することを可能にする。

脳神経疾患をターゲットとした取り組み
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 細谷室長は「脳・神経疾患の診断や創薬が難しいとされているのは、神経細胞や脳細胞が多くの種類があり、それぞれ性質が違っているからだ。実際に病気を患っている患者のiPS細胞を使うことで、細胞だけを比較した場合では理論的な差が全くないようなケースでも、一定のチップにしてみると、その違いがわかることがある」と話す。

 多くの種類のチップの測定を、低コストで効果的に行えるリコーのバイオプリンティング技術は、創薬の大きな強みになると期待されている。リコーは、早ければ、2020年にも創薬のパートナーを見つけるとともに、創薬の新しいプラットフォームづくりにも取り組む方針だ。

※肩書は取材当時(2019年12月)のものです。

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リコー脳磁計測システム「RICOH MEG」

提供:株式会社リコー

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